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ホンダF1 栄光と苦難の歴史 第3期 2000年 [F1 ホンダ 栄光と苦難の歴史]

ホンダF1 栄光と苦難の歴史 第3期 2000年
ホンダがF1で歩んだ栄光と苦難の歴史を見ていきましょう。

ホンダは、F1初参戦の1964年から順調に歴史を刻んできたのではない。

参戦しては休止。
フルコンストラクターだったりエンジンサプライヤーだったりと紆余曲折しながらの歩みであった。

第3期は、1992年の第2期の休止から8年という長い月日が過ぎていた。



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◇2000年◇
1992年に撤退して以来、8年振りにF1へ復帰したホンダ。

1998年に、本田社長の川本氏が「シャーシ製造を含めたフルワークスによるF1参戦」を明言した。

ここから、ホンダF1復帰の準備が始まった。

ホンダの前線基地として、英国にホンダ・レーシング・ディベロップペント(HRD)を設立した。

デザインを日本が担当して、イタリアのダラーラでシャーシRA099を製作し、1999年にテストドライバー:ヨス・フェルスタッペンを起用してサーキット走行を行うところまで準備が進んだ。

だが、ホンダ社内の慎重論とテクニカル・ディレクターの急死などで、フルワークスでの参戦を断念した。

エンジンサプライヤーとしての復帰に軌道修正したホンダが選んだ供給先は、B・A・Rだ。(ブリティッシュ・アメリカン・レーシング)

だが、これまでの経験から単なるサプライヤーに留まらず、車体開発はB・A・RとHRDとの共同開発体制をとった。

こうして、第3期のスタートが切られた。

ドライバーは96年CART、97年F1王者ジャック・ビルヌーブとリカルド・ゾンダのコンビで戦ったホンダの第3期F1活動の記念すべきマシン。

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◇002◇


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◇特 徴◇
・フロントノーズがハイマウントになっている。
・リヤウイングのサイドに切り欠き

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◇スペック◇
☆シャーシ
型番 002
ホイール O・Z
タイヤ ブリヂストン

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☆エンジン
エンジン名 RA000E
形式 V型10気筒・90度
総排気量 3,000cc
最高出力 800馬力以上
燃料・潤滑油 エネオス

◇戦  績◇
GP参戦数 17回
GP優勝 0回
ドライバー
(ランキング)
ジャック・ヴィルヌーブ(7)
リカルド・ゾンタ(14)
コンストラーズ 5位



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