ホンダF1 栄光と苦難の歴史 第2期 1989年 [F1 ホンダ 栄光と苦難の歴史]
ホンダがF1で歩んだ栄光と苦難の歴史を見てい きましょう。 ホンダは、F1初参戦の1964年から順調に歴史を 刻んできたのではない。 参戦しては休止。フルコンストラクターだったり エンジンサプライヤーだったりと紆余曲折しなが らの歩みであった。 第2期は、1968年の休止から15年という長い月日 が過ぎていた。 |
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◇1989年◇ |
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この年からターボが禁止になり全車3.5L自然吸気エンジン(NA)となった以外は、特に新技術を盛り込んだボディーではない。 NAの為吸気に優位な位置に吸気口を移動した為、ドライバーの後ろが競り上がっている。 技術的なトライに乏しい面があるマシンだった。 セナとプロストとの間に、序盤戦で確執の芽が生まれてしまったのだ。 第2戦サンマリノGPでの「1コーナーでの順位を遵守し、前半は争わない」というあやふやな紳士協定の締結と破綻が発端となり、両者の仲は険悪化する。 シーズン中盤以降はひとつのチーム内に別々のチームが存在するような状態だったともされ、セナとプロストは技術情報も互いのエンジニアを介してしか提供し合わなかったと伝えられる。 プロストは夏場に翌年のチーム離脱を決め、セナは次第にF1界全体に対して心を閉ざしていくようになる。 Honda製エンジン通算50勝が記録 |
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◇MP4/5◇ |
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◇特 徴◇ |
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・ドライバーの後ろに吸気口を移動 |
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◇スペック◇ |
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☆シャーシ | |
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型番 | MP4/5 |
デザイナー | ニール・オートレイ |
車体構造 | カーボンファイバーモノコック |
全長×全高 | 未発表 |
ホイールベース | 2896mm |
トレッド(前/後) | 1820mm/1670mm |
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボ-ン |
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボ-ン |
ダンパー | ショーワ製 |
タイヤ(前) | 12インチ(ホイールリム) 13インチ |
タイヤ(後) | 16.3インチ(ホイールリム) 13インチ |
トランスミッション | マクラーレン製6速MT |
車両重量 | 500kg |
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☆エンジン | |
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エンジン名 | RA109E |
形式 | 水冷72度V10 DOHC |
総排気量 | 3490cc |
ボア×ストローク | 92.0mm×52.5mm |
最高出力 | 685ps/13000rpm |
燃料供給方式 | Honda PGM IG |
◇戦 績◇ |
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GP参戦数 | 16回 |
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GP優勝 | 10回 |
ドライバー (ランキング) |
アラン・プロスト(1) アイルトン・セナ(2) |
コンストラーズ | 1位 |
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